今回は、歴史の教科書に登場する初代内閣総理大臣である伊藤博文について実績やおい立ち、エピソードを紹介していきます。
伊藤博文のすごい3つの実績
1.初代内閣総理大臣になった
教科書に書いてあるとおり、初代内閣総理大臣に就任し、日本の政治の仕組みをつくった人物。
天皇中心の政治から議会や政党中心の政治に変えた。
2.日本で初めての憲法を作った中心人物
大日本帝国憲法の作成に携わった中心人物。
また、岩倉使節団のメンバーとして外国を視察した経験を活かされたようだ。
3.日清・日露戦争後の日本の外交を引っ張った
1894年の日清戦争、1904年の日露戦争での後に、日本の外交を引っ張りました。
実際、1895年の下関条約の際は、伊藤博文と陸奥宗光が下関に赴いている。
この3つが伊藤博文の主な実績。
ここからは、年代とともに紹介していきます。
時代の変化を感じた生い立ち~10代
伊藤博文は、1841年(江戸時代のおわり頃)に、今の山口県(長州藩という場所)で生まれました。
貧しい農家の出身でしたが、とても頭が良く、真面目な少年でした。
1853年のペリー来航の機に、日本は開国へ。伊藤博文が10代から少しずつ外国の文化が日本に入ってきます。
国を変えるために「命がけ」で勉強した20代
伊藤博文の20代は、まさに「命がけの勉強」の日々。
伊藤博文は、当時、日本を変えようと熱心に教えていた「吉田松陰」という先生の塾に入ります。ここで、日本の未来について真剣に考えるようになりました。
吉田松陰との出会いが、彼の人生にとって大きな転機になったであろう。

22歳の時、彼は「日本の未来のためには、外国の進んだ技術や制度を学ぶしかない!」と考え、こっそり船でイギリスへ渡ります。
当時は、鎖国中の日本人が外国へ行くことは法律で禁止されており、見つかれば命に関わる大冒険。
命の危険を冒してまで、新しい知識を求め続けた姿勢はすごい。
結果、イギリスで見た蒸気船や鉄道、発展した工場などに衝撃を受け、「日本も変わらなければならない」という思いを強くなった。
明治政府の中心で活躍した30代
日本に戻った伊藤博文は、日本を新しくする「明治維新」という大きな変革の時代に、中心メンバーとして活躍することになります。
廃藩置県や岩倉使節団の一員として世界を視察するなど現代に通ずる仕組みの構築に貢献しました。
用語解説
廃藩置県
1871年に行われた、藩を廃止して府県を設置する制度。
岩倉使節団
1871年に岩倉具視を大使とする欧米使節団。外国との不平等条約の改正交渉を目的に派遣されたが失敗。欧米の進んだ政治や経済、社会を学び帰国する。
日本のリーダーとして、新しい国の形をつくった40代
伊藤博文が研究して提案した新しい政治の仕組み「内閣制度」がスタートし、その記念すべき初代のリーダーとして、1885年に内閣総理大臣になりました。
内閣制度は、天皇が直接政治を行うのではなく、総理大臣と大臣たちが協力して政治を行うという現代に近い形の政治運営体制になりました。
また、憲法の草案をまとめ、何度も議論を重ねて、1889年に「大日本帝国憲法」が完成しました。
この憲法はアジアで初めて作られた近代的な憲法として、世界からも注目されます。
日本の顔として活躍する50代
1894年に始まった日清戦争で日本が勝利した後、中国(清)との講和条約(下関条約)の交渉では、伊藤博文自ら、交渉の場へ。
また、伊藤博文は50代で3回総理大臣を経験します。(合計4回)

(画像引用:https://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html)
1900年には、立憲政友会の創設メンバーとして新党を結成しています。
引退するも貫禄のある60代
第四次伊藤内閣崩壊後、総理大臣からは引退するものの影響力は大きかったです。
伊藤博文は元老と呼ばれる、天皇の相談役や、新しい総理大臣を選ぶ重要な役割を担うようになりました。伊藤博文のこれまで実績なら当然ですが…(笑)
日露戦争後、日本が影響力を強めた韓国に渡り、「初代韓国統監(かんこくとうかん)」という非常に重要な役職に就任しますが、69歳のとき、現地で暗殺されその生涯を終えます。
伊藤博文から学べること
ここでは、伊藤博文から学べることを簡潔に書きます。
1つ目は行動力のすごさ。
20代のときリスクを負ってまでイギリスに行く姿勢や新党を結成するなど行動力がすごい。
どの分野でも成功者は行動力おばけ。
2つ目は学ぶ姿勢。
命がけでも学ぶ姿勢がある。勉強熱心。大人になってもこれだけ学べる熱量はすごい。
3つ目はマインド
年齢関係なく、目的のために行動する・挑戦するマインドは現代人が学ぶべき姿勢である。
まとめ
今回は、伊藤博文について実績や年代ごとのエピソードを簡単にまとめてみました。
私たち現代人は、伊藤博文の行動力や学ぶ姿勢、熱量、マインドから学ぶことがたくさんあるでしょう。
これを機に、「伊藤博文のイメージが変わった」や「もっと伊藤博文について知りたい!」と思っていただければ幸いです。
今回は、以上。
最後まで読んでくれてありがとう!